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「ワクチン禍に対して医師としてクリスチャンとして戦う証」

2025年3月16日NEWS&ブログ,賛同者の証

「ワクチン禍に対して医師としてクリスチャンとして戦う証」

長野福音教会 奏楽者
長野赤十字病院 精神科部長
横山伸


【救われた経緯の証】
私は生理学者の前歴を持ち、精神科に転向した一医師です。大学院生の頃、誘われたイングリッシュバイブルクラスに、米国留学準備のつもりで妻(こちらは生化学をやっています)が参加したことで、護衛のつもりで付いて行ったのが、教会に行き始めたきっかけです。長野県松本市において90年代の初め、外国からの留学生や出稼ぎ等の種々の国のクリスチャンと英語で聖書の話をする中、世間的な良し悪しや優劣では測れない「クリスチャン」という不思議な人々の魅力に捉えられました。当初は「聖書の誤りを指摘して彼らの間違いを正してやろう」という意気込みで読み始めた聖書を、いつしか「どうしたら自分はこの記述を信じられるようになるだろう」という思いで学んでいました。これは既にイエス様にとらえられてしまったからなのですね。音楽留学生として来日していた米国人同世代夫婦の送別会で彼らの証を聞いた日の帰路、聖霊様が来て下さったのでしょう、自分は既にクリスチャンにされていると自覚するようになりました。妻と共に救われたその時から、もう30数年になります。

【コロナ禍・ワクチン禍に関する証】
コロナ禍が始まった2020年は、病院でも教会でも手探りで工夫しながらの感染対策を行なっておりました。当時流布されていた情報に基づき、聖歌隊や会衆賛美で使えるフェイスシールドを、手作りで量産していたことを思い出します。礼拝自粛の風潮はよろしくないと思っていましたので、なんとか教会に集っての礼拝を継続できるように換気や消毒について工夫提案していました。
2021年、医療関係者のワクチン接種が始まりました。mRNAワクチンの作用機序の説明を受けた時、この薬物が役に立つのか/むしろ有害ではないかと思いました。人の体細胞にmRNAを導入し異種タンパクを作らせるのです。(ちなみに、これまでのワクチンの基本的な概念は、病原体の異種タンパクを人々に注射し、そのタンパクに対する抗体を作らせて、将来侵入してくるかもしれないその病原体を早期に感知して攻撃・無効化すべく備えるものです。)自分の細胞に遺伝子導入して異種タンパクなど作ったら、自分の細胞の機能が破綻しないか、その細胞が自分の免疫系に攻撃される「自己免疫疾患」が生じないかと思いました。導入された遺伝子がすぐに壊れたら役にたたない、壊れず存在し続けたら有害になる。その中間の微妙な状態を、どうやって保つことができるというのでしょう。もともと神様が作られた生命体では、私たちには今なお解明しきれない仕組みのバランスが保たれており、生命科学者たちはその仕組みを畏れや感動を抱きつつ探ろうとするものです。しかし人間が作ったものでこうしたバランスが保てるでしょうか? こうした危惧から、私はこのmRNAワクチンは信頼できないと思いました。それでも当初は周囲に対して、接種を受けたい人が自由意志で受けることまでは止めず、ただ「慌てないで慎重に」「よく考えてから」と訴えることを続けました。家族親族や、当時妊娠中だった病院職員、患者さんなど、全員ではありませんが、これを聞いて接種を見合わせてくれました。
しかしながら、2021年末より、ブースターと称して追加接種が推奨され、また小児への接種も解禁となるにつれて、このように実験的な注射をあらゆる人々に何度も接種するのが押し進められることは絶対に止めなければならないと思うようになりました。そしてまたこの頃には、ワクチンへの疑問や批判を伝えるニュースや動画が検閲され規制される現象にも何度も遭遇しました。人々の自由意志が損なわれていました。無批判な思考停止が良しとされていました。みことばに「キリストは、自由を得させるために私たちを解放して下さいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい。」(ガラテヤ書5章1節)とありますように、自由のない世界を作ろうとする者に対しては、クリスチャンこそが反対しなければならないと思っていました。そこで、mRNAワクチンの無効性や有害性に関して、病院執行部を含む周囲の医療関係者に、患者さんに、教会の方々に、行政に対して、話せる機会には直接「伝道」してまわりました。ずいぶん変人扱いされました。講演会も行いました。聞いてくれる方はわずかで、行動まで変えてくれる方はさらにわずかでしたが、ともかくも続けました。患者さんにワクチンを射たせなかったことで他医から激しく非難されたこともありました。(ちなみに、その患者さんはコロナに感染しましたがすぐに治っています。)でも、時間の経過の中で周囲の状況は少しずつ変わり、私が「伝道」していたことの方が正しかったと徐々に認められつつあるようです。イエス様に感謝です。

【偶像や高慢への注意】
2022年、教会でこうした講演会をした時に、どうすればよいかと接種を受けてしまった方から尋ねられました。一般的な健康維持のためのアドバイスのみに止めましたが、この時に重大な問題に気づきました。私はつい「何々を内服しましょう、何々さえあれば安心です」と答えることができれば良いのになと思ってしまったのです。また、質問された方がそういった答えを求めているだろうこともわかったのです。しかしこれは、まさに出エジプト記32章4節にある鋳物の子牛、人が真実の神の代用品として作った偶像のようなものです。「あのmRNAワクチンさえ使えばコロナは安心だ」という考え方と、「この特効薬さえ使えばワクチン後遺症は安心だ」という考え方は、実は全く同類です。科学的に言うなら、安全性や有効性のわからないものはわからないままであると認めるべきですし、信仰的に言うならば、人が作った都合のよい偶像に頼りたくなる心の動きに気をつけるべきだと思います。
しかしながら、ワクチンの危険を訴えて後遺症への対応を呼びかける有志の医療関係者の中に、残念ながらこうした安全性や有効性のわからない特効薬の購入を勧める人々も混じることに気づきました。そうした行為が結局は害を起こしかねないし、信頼を失墜しかねないにもかかわらずです。善意ゆえか商魂ゆえかわかりませんが、医師の感覚だけで活動する限り、こうしたことに携わってしまうかもしれない危険から身を避けることは困難です。また、もう一つ、「こんなに言ってるのになぜわかってもらえないんだ」という失望や怒りは、いつしか相手を見下す優越感や独善になりやすいものです。こうした高慢からも身を避けなければいけません。
そういったわけで、私はワクチンの危険を訴える有志牧師の会や全国有志クリスチャンの会が存在していることを心から喜びます。イエス様中心で、しっかり導いてもらいながらでなければ、我々は間違えます。ここまで数年間、大幅に間違えてきた私たちは、やはりイエス様に頼って悔い改め、イエス様に頼って正しく進み直したいと思います。