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「とこしえの道に導いてください 」

2024年9月14日NEWS&ブログ,賛同者の証

森英樹
日本イエス・キリスト教団 小松島栄光教会牧師


小松島栄光教会 森英樹牧師の証しメッセージ(動画)

2020年2月、ダイヤモンド・プリンセス号のニュースが報じられて間もなく、私はファミレスでウエイターのバイトをする若者が鼻を隠さずマスクをしている姿に、マスク警察の思いで憤りを感じ、その気持ちを押えるのに苦労したことを思い出します。

その頃から、押し出されるようにして、委ねられた群れのために、新型コロナ感染からの影響を最小限度にとどめる手立てはないものかとインターネットを調べはじめたものでした。
ボリビアではコロナ・ウイルスを不活化させるのに二酸化塩素の飲用が功を奏し用いられているとのこと。(二酸化塩素とはかつてアメリカを襲った炭疽菌テロの際、建物ごと菌を不活化させるために用いられた薬品)にも関わらず、なぜボリビア以外の国ではコロナ治療薬として承認されないのか?さらにはイベルメクチンと言う錠剤も感染予防と初期治療に効果があるとのことですが、なぜ治療薬として承認されないのか、疑問を抱きました。

のちに分かってきたことは、コロナワクチンの特例承認はワクチン以外に感染を防ぐ効果的な薬がない場合にのみ承認されるとのこと。それでウイルスの酸化剤としての二酸化塩素も、イベルメクチンの飲用も承認されないのかもしれないと、実際に使うか、使えるかどうかもわからない中、念の為これらを入手し備蓄したものです。

そうした背景があるか無いのか、ワクチン接種一辺倒となり、巨大製薬企業のみが思わぬ収益を上げるという状況に疑問を感じ、更に国が製薬会社と交わした契約内容は何十年に渡って非公開とされているといったことにも首をかしげました。
感染の危機感は煽られ、あれよあれよとワクチン接種の治験は進み、世界はほぼ接種を終了しているのに日本だけ7回にまで至り、ワクチン接種と相関関係にあるかの様に厚生労働省発表の人口動態速報、超過死亡者の数は例年と比べると予想を遥かに超える増加を見せました。

同時にそれは私が牧会をあずかる教会や関係者においても例外ではありませんでした。教会員の知人、友人の中にはワクチン接種した次の日亡くなったと言う人もあり、それらを耳にする度に胸を痛めました。
と共に思いました。「食堂が食中毒患者を一人でも出したならば、即座に営業は停止され、報道され、問題の改善がなされるまで営業の再開も認められないにも関わらず、このワクチンに対する国・医師会・マスメディアのあり方は何なのか」と。また私たちは有効期限を書き換えることさえ見せられたのです。食品でさえ廃棄処分が求められるのにです。

更に、教会及び関係者の中では、急速に進む癌症状や、極度に免疫が低下することで発症する様々な症状で苦しんでおられるメンバーの状況を聞くにつけ、ワクチン接種の影響があるのかも知れないとの思いが脳裏をよぎりつつ、「群れに混乱を与えてはいけない。分裂の火種になるようなことは口にできない」と、眠れぬ夜を過ごし、苦しみ、時に口に出すことができない自分を責め、神様に心を注ぎだす以外にありませんでした。

今年に入り、意を決して現状起こっていることを伝えるプレゼン資料を作成し、教会役員会に牧師の思いを伝えました。このことで教会から転任を求められるなら致し方ないこと。ただ動機は群れを守りたいとの一心、この点においてなんら偽りはない。教団に属する牧師として腹を括ってのことでした。家内も同様に覚悟を決めてくれたことは感謝でした。

結果教会役員会は「ワクチンについては慎重に」との牧師のスタンスを理解し、祝福の祈りをささげてくれました。それがこうして今全国有志牧師の会に加わることが出来た一歩であったと感謝しています。まさに、今は小さな意見の違いにこだわらずキリスト教会が使徒信条のもと一つにまとまり、社会に向けて発信することが求められている国難ではないかと思わされての決断です。教会役員会および後に牧師会でもプレゼンテーションしたその時の動画のリンクを添付しますので、お時間がゆるされるならご覧いただけますと幸いです。

今思えば、2022年12月、大動脈乖離を患い、救命手術によって一命を取り留めたことも神様のあわれみと配剤であったと感謝しています。術前、術後のCTスキャンのため造影剤が投与され、それによって腎臓機能が極度に低下し、近い将来人工透析は避けられないでしょうとの告知を受け、それをきっかけに読み漁った医療関係書籍。
何とか透析を回避する道はないものかとの一心でした。そのプロセスの中で、西洋医学の起源や、西洋医学がそれ以外の医療に影響を与えた歴史について知る機会も与えられました。
そうした背景の中、病名に基づく薬による治療ではない方法で透析に至る危険領域を回避することができたことはただただ感謝です。

いずれにしても私たちキリスト者は、特に主にあって召され牧師とされたお互いは、エペソ6章10~20節のごとく立つことが求められているのではないでしょうか。
最後まで目を通してくださいましたことを心より感謝致します。

神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。
わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください。
(詩篇139篇23、24節)


わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。
(エペソ人への手紙6章12節)